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秀則 高橋

「科学的」って何?

 波動エネルギーをバイディジタルオーリングテストやダウジングで診ていることは「波動医学とは」のページに記載した通りです。実際聞けば聞くほど怪しい話だし、これらがしばしば似非科学と言われているのは十分承知です。では真の科学とは何でしょうか?西洋医学で科学的、と言われるのは「強いエビデンス」があるもののことを言います。無作為対象比較試験(Randomized controlled study: RCT)と言われるものがその代表ですが、あるもの(薬剤、治療法など)の効果を判定するのに比較対象群、つまり偽薬とか偽治療などを与える群と本物の薬や治療を与える群を設けて結果を比較する、というわけです。そして偽薬とか偽治療に比べて効果が高かったらエビデンスとして成立するわけですが、このような研究ではしばしば偽薬や偽治療にも一定の効果があることがあります。「科学」ではこれをプラセボ効果と呼んでいます。そしてこれは本物の効果ではない、つまり嘘あるいは偶然と考えられています。多分どの医学の分野でも共通の考え方ではないでしょうか?

 でもプラセボ効果がなぜ生じるのかはどうもわかっていないようです(「科学的証明」がされている、とおっしゃる方は是非教えて下さい)。何故か?納得いかないからです。あるいは心理的効果は効果と認めていないからです。砂糖を舐めたら痛みが止まったり、手術をしたふり(麻酔をして皮膚を切開してそれ以上は何もせずに傷を縫いなおしたり)をして病気が治ったりしたら、薬を開発したり手術をしたりする意味がなくなります。あり得ないことが起こるのは理論的思考を好む人には特に困る話なのです。従ってこういった議論は科学的ではない、と学会では一網打尽にされます。

 私はプラセボ効果も波動を診ることによって納得のいく理屈がわかると信じています。例えば砂糖を舐めると甘くて舐めた人にとって心地良くなったとします(心地よくなる理由は人それぞれかも知れません)。心地良くなるとセロトニンやドパミン、オキシトシンなどの「幸せホルモン」が分泌され、それが痛みを抑制する働きをする、と想像されます。これらを血液検査などで証明することは可能かもしれませんが、ホルモン分泌などはリアルタイムに変動する出来事なのでその現象をとらえるのは手間がかかるでしょう。でもダウジングなどでこれらの波動をとらえるのは簡単です。時間と暇とお金があればやってみたいものですが、それより重要なのはこれらの疑似科学と言われる手法を追求して、安全、安価で効率の良い治療法ができることだと毎日考えています。

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1件のコメント


ADRC INC.
ADRC INC.
2022年7月04日

”科学的”であるためには、一般的には下記二つの特徴を持つことが求められているようですね。 1. 再現性 2. 因果性 1 つ目は、同じ手順・方法に則れば、いつ・どこで・誰であったとしても、同じ答えや結果にたどり着くということです。 言い換えると、調べる人によって結果がバラバラだったり、同じ人でも毎回違う答えが出てきたりするようなものは、”科学的”ではないと判断されます。コツや勘のようなものに頼らない再現性が無い限りは科学的とは認めないというのが通説です。 再現性の有無を判断するためには「観測」「測定」「計測」といった行為とその結果の評価が必要となります。 同じ手順・方法を再現するためには測定系をも含めた環境条件を構築する必要がありますが 「いつ・どこで・誰であったとしても・・・」とは相容れない矛盾が発生します。そこで、100%全く同じ答えや結果にたどり着かなくとも、ある確率で成立すれば、それは再現性がある、”科学的”であると考えようということになります。科学的なものとそうでないものの間にはっきりした境界線があるわけではなく、あくまでも程度の問題なのです。どのあたりが科学的でどの部分は科学的でないか、理由つけて皆が納得できるかどうかが判断基準です。”科学的”というと大変厳密なものと思われがちですが、”的”の文字が顕著に示しているとおりあいまいなものです。 プラセボ効果も膨大な検体の血液検査などで内分泌系の変動をとらえたら多くの人が”科学的”と納得できるのかもしれません。しかし、そこで多大なテマとヒマとカネをかけて、あいまいな”科学的”という評価を勝ち取るよりも、はるかに重要なことがあるのは全くご指摘のとおりだと思います。 2 つ目は、原因に基づいて結果が生じているという因果関係が説明できるかということです。因果律は普遍的な真理と信じられているが故に、因果律に沿っていることが”科学的”の必要条件となっているのでしょう。 あらゆる事象には原因がある筈だ、という信念をもって科学はメカニズムの解明をします。 数学的には「原因を求める」ことは微分方程式の解を求めることに他なりません。微分方程式の可解性に関する一般論の分野では、常微分方程式の解の存在定理が証明されました。これは、一意性はなくとも解は存在する、即ち、あらゆる事象には必ず何らかの原因がある筈だ、という社会通念とも合致し、因果律は普遍の真理であると信じられてきました。 そこにあって1957 年の Hans Lewy による解 を持たない線形偏微分方程式の発見は衝撃的な事件でした。数学的には「原因の無い事象も存在する。」のです。  シュレディンガーの波動方程式においても、求めた結果は、原因であるという、因果渾然一体となった固有状態となっています。 i(h/2π) (∂ψ(x, t) /∂t) = H ψ(x, t) 因果律の枠の外にある固有状態であり、作用素によって変化しません。  ダウジングで波動が捉えられるのも、因果渾然一体となった固有状態にあるように思えます。

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